真岡市の空襲

真岡町(山前村、大内村、中村) 二宮町(物部村・久下田町・長沼村)≫  

≪ ≫内の黒文字は、域内の昭和20年当時の市町村、紫字は20年以降( )内の市町村が合併して成立した市・町名

 

昭和20年7月10日

 

 ハルゼー大将指揮下のアメリカ海軍第三艦隊のマッケンジー中将指揮下の房総沖の空母15隻を中心とする第38機動部隊の艦載機800機が、関東地方全般にわたり日本軍航空基地、鉄道機関を中心として攻撃をしました。しかし同時に一般市街地に対しても無差別な攻撃を加え、各地に大きな被害をもたらし、多くの犠牲者を出しました。

 

 栃木県内にも98機が4波に分かれて襲来し、5インチ高性能ロケット弾・260ポンド破片爆弾・500ポンド汎用爆弾・および12.7ミリ機銃弾による攻撃を行いました。この日の空襲は足利市・宇都宮市・大田原市・さくら市・那須塩原市・壬生町・真岡市など広範囲に及び大きな被害と多数の死傷者を出すことになりました。

 

 真岡市の柏田の畑地に2発の爆弾が投下されましたが被害はありませんでした。

 

 

昭和20年7月12日

 

 宇都宮を襲った(宇都宮の空襲の項参照)B29爆撃機の隊編は、真岡市常盤町一帯に焼夷弾を投下した。芳賀病院、真岡中学校(現・真岡高校)を結ぶ線上の、の複数の地点から火の手が上がりました。この焼夷弾投下により同地区内の芳賀病院、駅前の食料検査所、丸通の倉庫、及び民家30~40戸が焼失しました。1名の死者を出しました。