下野市の空襲

≪国分寺町・石橋町(石橋町・姿村の一部)・南河内町(薬師寺村・吉田村)≫  

≪ ≫内の黒文字は、域内の昭和20年当時の市町村、紫字は20年以降( )内の市町村が合併して成立した市・町名


昭和20年7月28日

 国分寺町の空襲

 7月28日正午ごろ、国鉄宇都宮駅周辺を急襲した艦載機P51戦闘機14機のうち3機は、仙台発東北線上り列車を追い小金井駅で、駅前に集合していた群衆を攻撃し、31名の死者、70名以上の負傷者を出しました。小金井駅前には、宇都宮からの戦死した兵士らの遺霊を迎えるため、多数の市民が出迎えに集まっていました。艦載機はこれらの群集らに襲い掛かり、逃げ惑う市民らを標的として機銃掃射を行いました。出迎えの市民らをはじめ、駅員や列車の乗客らも死傷するという大惨事となりました。この空襲では宇都宮市内でもほぼ同時刻に30名以上の死者を出していますので、この日の空襲はあわせて70名以上の犠牲者を出すこととなり、県内の空襲としては7月12日の宇都宮大空襲に次いで大きな人的被害をもたらした空襲となりました。(※宇都宮の空襲7月28日の項を参照してください)


日時不明


 南河内町の空襲

 南河内町仁良川(にらがわ)地区に、昭和18年仁良川飛行場が着工され、19年に完成した。完成式の5月ごろ、飛行場と柴地区にあった軍施設が襲撃を受けたとの目撃証言があります(「招魂の里」に記載 鈴木敏夫著)