大田原市の空襲

≪大田原町・親園村・野崎・野崎村・金田村・佐久山村・黒羽町(黒羽町・川西町・須賀川村・両郷村)湯津上村≫

≪ ≫内の黒文字は、域内の昭和20年当時の市町村、緑字は昭和20年以降現在までに( )内の市町村が合併して成立した

 

昭和20年7月10日

 房総沖の空母15隻を中心とするアメリカ第38機動部隊(第58機動部隊改称)の800機の艦載機が関東各地を攻撃しました。栃木県内には4波に分かれて襲来しました。主として航空施設の攻撃を標的としたもので、栃木県内では宇都宮・那須飛行場のほかに氏家・宝積寺両駅に停車中の汽車が襲われ死傷者を出しています。(※宇都宮の空襲高根沢の空襲参照)

 第1波 艦載機F6F-5型8機 F4U-4型7機、10時30分ごろ金丸原(金丸)飛行場空襲。掩体壕格納庫を破壊しその後、那須野陸軍飛行場を攻撃しました。

 第2波 艦載機F4U-4型8機、11時半頃、金丸原飛行場と那須野が原飛行場を空襲、掩体壕格納庫を破壊。操車場にとめてあった列車を襲撃(この操車場は東北本線氏家駅あるいは宝積寺駅と思われる ※高根沢町の空襲参照)

 

 (その後、那須陸軍飛行場へ向かう)当日9時ごろ大田原市小滝にも焼夷弾が落下したが人や建物の被害はありませんでした。


昭和20年7月12日


 艦載機F4U-4型8機、金丸原飛行場空襲、大田原市市野澤(いちのざわ)、樋世原に爆弾を投下しましたが、特にこの地区の被害はありませんでした。

昭和20年7月18日


 グラマン戦闘機3機、金丸原飛行場空襲。(その後那須陸軍飛行場へ) 大田原市小滝にも爆弾が投下された。


昭和20年8月13日


 空母レキシントンを発進したグラマン戦闘機が4波に分かれて金丸原飛行場とその周辺を空襲。

 第1波 6時頃 艦載機F6F-5型10機、F6FSP型1機、飛行場をロケット砲攻撃し飛行機13機を破壊、1機が中島飛行機製作所大田原分工場(大田原市奥澤)を襲撃、カマボコ型工場一棟に爆弾を投下、工場は壊滅しました。また市内金田国民学校および近辺の民家4件も全焼し1名が犠牲となりました。ほか数名の犠牲者が出たとの情報もあります。(※中島飛行機製作所大田原分工場から神社境内工場施設を建設するために昭和20年7月26日、大田原市に対し『神社境内使用許可願い』が出されていました。中島飛行機製作所は、神社境内の地下を掘削、地下工場建設を進めていました」(大田原市史後編―昭和57年12月1日発行)

 第2波 8時半頃 F4U-4型艦載機6機  F6F-5型艦載機2機、金丸原飛行場の格納庫・兵舎・掩体壕・北西の工場・北東の役場・機関車を攻撃(東野鉄道・金丸原駅または中田原駅構内)。


 第3波 11時ごろF6F-5型艦載機11機、宇都宮南飛行場攻撃の後、金丸原飛行場を攻撃。


 第4波 14時ごろF6F-5機、 F4U-4艦載機、那須野が原飛行場を攻撃、航空機・格納庫・工場・高射砲陣地を破壊。


 第5波 15時ごろF6F-5、F4U-4、那須野が原飛行場、金丸原飛行場を攻撃。

 

※なお、栃木県北部(那須地区)の空襲・戦災の詳細については「那須の太平洋戦争」下野新聞社発行 北那須郷土史研究会編 1996年2月 をご覧ください。