壬生町の空襲

《壬生町、稲葉村、南犬飼村》  

≪ ≫内の黒文字は、域内の昭和20年当時の市町村


 壬生町には昭和18年、南犬飼・安塚地区に宇都宮陸軍飛行学校壬生教育隊九五式中連が配置され5月14日開所しました。第23振武隊(神風特攻の部隊)の訓練・練成、特幹(陸軍特別幹部候補生)の養成を目的とし、飛行場も建設されていました。この飛行場は壬生町国谷地区から石橋町上長田地区にまたがっていました。そのため現地の人たちは長壬生飛行場、長田飛行場また安塚飛行場などとも呼んでいました。(現在のおもちゃ工業団地はその跡地に造成された)。ここで錬成された特攻要員は知覧に配属され、第23振武隊は昭和20年4月1日に10機が出撃特攻隊員として帰らぬ人となりました。同年5月5日、千葉県の下志津派遣隊が壬生飛行場に移駐してきました。

 

昭和20年7月10日

 

 ハルゼー大将指揮下のアメリカ海軍第三艦隊のマッケンジー中将指揮下の房総沖の空母15隻を中心とする第38機動部隊の艦載機800機が、関東地方全般にわたり日本軍航空基地、鉄道機関を中心として攻撃をしました。しかし同時に一般市街地に対しても無差別な攻撃を加えました壬生町でも数人の負傷者が出たとされています。

 

 栃木県内にも98機が4波に分かれて襲来し、5インチ高性能ロケット弾・260ポンド破片爆弾・500ポンド汎用爆弾・および12.7ミリ機銃弾による攻撃を行いました。この日の空襲は足利市・宇都宮市・大田原市・さくら市・高根沢町・那須町・那須塩原市・真岡市など県内広範の都市におよび大きな被害と多数の死傷者を出すことになりました。

 

昭和20年8月13日

 

8月13日に宇都宮を襲撃したアメリカ軍機6機が襲来 ロケット弾12発機銃弾700発を掃射、壬生飛行場の地上機2機破壊1機破損、掩待壕を破壊し、格納中の3機に損害を与えました