その他の宇都宮師団の動向

第二十二師団(原)

 

1938年昭和13年4月1日宇都宮師管区で編成された、補充担当は仙台師管区

編成

第22歩兵団 第22歩兵団司令部 歩兵第84連隊(仙台) 歩兵第85連隊(會津若松) 歩兵第86連隊(山形)

 

師団直属: 山砲兵第52連隊 工兵第22連隊 輜重兵第22連隊 騎兵第22大隊 第22師団衛生隊 第22師団通信隊 第22師団兵器勤務隊 第22師団第1野戦病院 第22師団第2野戦病院 第22師団病馬廠

占領地の治安維持のため留守第14師団を基幹として編成され、中国戦線に投入される、武漢作戦などに従事、昭和19年第23軍隷下の、香港に移動し湖桂作戦に従事する。昭和20年第12軍隷下となり仏印に転用、ビルマ戦線に投入され、バンコクで終戦を迎えた

 

第六十三師団(陣)

 

1943年(昭和18年)5月、宇都宮師管区を補充担当として、華北で編成された独立混成第15旅団と独立混成第6旅団の一部、日本本土で編成された部隊で編成された治安師団である。

編成

歩兵第66旅団 独立歩兵第77大隊 独立歩兵第78大隊 独立歩兵第79大隊 独立歩兵第137大隊 歩兵第67旅団 独立歩兵第24大隊 独立歩兵第25大隊 独立歩兵第80大隊 独立歩兵第81大隊 第63師団迫撃砲隊 第63師団通信隊 第63師団工兵隊 第63師団輜重隊 第63師団野戦病院 第63師団病馬廠

北支那方面軍に属し北京近郊の警備に当たった。1944年(昭和19年)5月から大陸打通作戦の京漢作戦に参加した。1945年(昭和20年)6月、満州に転用され第44軍の隷下のもと通遼に駐屯していたが8月のソ連軍進攻に伴い奉天に退き、奉天で終戦を迎えた。

 

第八十一師団(納)

 

1944年(昭和19年)4月4日 宇都宮師団管区にて留守第五十一師団を基幹として編成された。

編成

第171連隊(宇都宮)172連隊(水戸)第173連隊(高崎)

 

師団直属:野砲第81連隊、工兵81連隊、輜重兵81連隊、第81師団高射砲隊、第81師団通信隊 第81師団兵器勤務隊、第81師団衛生隊、第八野戦病院、第十野戦病院、第81師団制毒隊、第81師団病馬廠

第三十六軍戦闘序列に編入された。機動打破師団として本土決戦に備え,結城で終戦を迎えた。

 

第百二十七師団(英邁)

 

1945年(昭和20年)1月16日に宇都宮師管区を補充区として第9国境守備隊を基幹に満州で編成された。

編成

歩兵第280連隊(宇都宮) 歩兵第281連隊(水戸) 歩兵第282連隊(高崎) 野砲兵第127連隊 第127師団挺進大隊 第127師団通信隊 第127師団工兵隊 第127師団輜重隊 第127師団兵器勤務隊 第127師団病馬廠

師団は編成された後、第3軍に編入され満州東部国境の警備・防衛にあたった。1945年8月9日ソ連軍の攻撃を受け、五家子に所在の歩兵第280連隊が8月19日まで交戦したが、第127師団のほとんどの部隊は本格的な戦闘を交えることなく停戦を迎えた

 

第百五十一師団(護宇)

 

1945年(昭和20年)2月28日 本土決戦第一次兵備として宇都宮師団管区にて編成された沿岸配備師団の一つ。

編成

歩兵第433連隊(宇都宮)歩兵第434連隊(水戸)歩兵第435連隊(高崎)歩兵第436連隊(宇都宮)第151師団噴進砲隊第151師団速射砲隊第151師団輜重隊第151師団通信隊第151師団兵器部

沿岸配備師団は、敵上陸にあたってトーチカや横穴陣地などを構築して上陸する敵軍を拘束し機動打撃師団などの主力部隊の攻撃を容易にする任務を持っていた。茨城県水戸に配備され沿岸の警備に当たり水戸で終戦を迎えた。

 

第二百十四師団(常盤)

 

19045年(昭和20年)4月2日2宇都宮師団管区にて編成された

編成

歩兵第519連隊(宇都宮) 歩兵第520連隊(水戸) 歩兵第521連隊(高崎) 野砲兵第214連隊 迫撃第214連隊 第214師団速射砲隊 第214師団機関砲隊 第214師団工兵隊 第214師団輜重隊 第214師団通信隊 第214師団兵器勤務隊 第214師団第4野戦病

編成後第三十六戦闘序列に編入 アメリカ軍の関東上陸に備えた機動打撃師団 、宇都宮で終戦を迎えた

 

第351師団(赤城)

 

1945年(昭和20年)6月10日 宇都宮師団管区にて第三百五十一師団は編成された。アメリカ軍の関東上陸に備えた機動打撃師団第三十六戦闘序列に編入。アメリカ軍の本土上陸に備ええての編成だったが、兵力、火力共に充足できないまま本土決戦に備え布陣した福岡県福間で終戦を迎えた。