Ⅱ 第百十四師団

●第百十四師団は1937年(昭和12年)8月に宇都宮第十四師団が満州に移駐となったあと10月12日に、新たに特設師団として、留守第十四師団の担当で新設された。

 

 

編成

歩兵第102連隊(水戸) 歩兵第66連隊(宇都宮 再編) 歩兵第115連隊(高崎) 歩兵第150連隊(松本) 騎兵第18大隊 野砲兵第120連隊(宇都宮)

 

師団直轄:工兵第114連隊 輜重兵第114連隊 第114師団通信隊 第114師団衛生隊 第114師団第1野戦病院 第114師団第2野戦病院 第114師団第3野戦病院 第114師団第4野戦病院

 

 

●1937年(昭和12年)10月 第百十四師団に動員令が下り、11月に中国の杭州湾に上陸し第10軍の隷下となった。中国軍の背後からの攻撃にあたり、上海戦に続いて南京攻略戦に参戦する。12月13日に南京が陥落したあと1938年(昭和13年)2月、華北に転用され、徐州会戦に従軍した。その後、華北での治安作戦に従事し、1939年(昭和14年)7月に復員した。

 

●8月28日第114師団は廃止となる

 

●1944(昭和19年)7月10日 第百十四師団は、華北で再編成され(通称『将』)編成後、第1軍に編入された。師団の編制は、4個独立歩兵大隊から成る歩兵旅団を2個持ち、砲兵を欠いた丙師団として誕生した。後に師団砲兵隊が所属した。1945年(昭和20年)8月9日にソ連が対日参戦に際して、平津地区転進を下令され、移動準備中に終戦を迎えた。その後も一部の将兵は残留し閻錫山の指揮の下で国共内戦のなか中共軍と戦っていた。