資料4 宇都宮師団の系譜

―第十四師団・第百十四師団を中心として―

年号

宇都宮の軍隊

関連事項

明治元年

(1868)

11月 東京鎮台指揮下の第一軍管第二師団歩兵第七番大隊 宇都宮城址に駐屯
歩兵第二連隊創設 第七番大体は第二連隊第二代替に編成 連隊本部設置 連隊は麻布に移駐

明治元年1月~2年5月 戊辰戦争
明治元年4月 宇都宮炎上
明治元年3月 神仏分離令、廃仏毀釈
明治4年7月 廃藩置県
明治6年1月 徴兵令

明治7年

(1874)

3/14 後備兵による歩兵第二十八大隊が宇都宮駐留 まもなく解散 

明治8年

(1875)

3/4 歩兵第二連隊第二大隊宇都宮復帰(671名)

明治17年

(1884)

6月 宇都宮城址駐屯地廃止 千葉県佐倉市に移駐(後 旅順攻撃の中核となる)

明治15年1月 軍人勅諭
明治17年 栃木県庁、栃木から宇都宮へ移転
明治18年 国鉄宇都宮駅開業
明治22年1月 徴兵猶予廃止 11月 旅順占領

●明治37年2月~38年8月 日露戦争
明治38年 兵制改正
明治38年9月5日 ポーツマス条約締結、日露戦争終戦

明治38年

(1905)

■6/13 第十四師団小倉で編成 大阪歩兵第五十三連隊、善通寺歩兵第五十四連隊、広島歩兵第五十五連隊、熊本歩兵第五十六連隊がその隷下となった。満州出陣し乃木将軍指揮下の関東軍第三軍の隷下に入り、満州遼東半島の警備にあたる。

明治40年

(1907)

9月 姫路第十師団の満州駐留により第十四師団が留守部隊として姫路に移駐した。

第十四師団の衛戌地栃木県宇都宮(河内郡国本村)に決定、師団司令部が設置
される。

明治41年

(1908)

■9月 習志野に歩兵第五十九連隊が創設され日露戦争にて奮戦、その後第十四師団に編入され宇都宮駐留となった。高崎歩兵第十五連隊・佐倉歩兵第二連隊と新設の宇都宮第六十六連隊が第十四師団の隷下に入った。
歩兵第二十八旅団司令部、騎兵第十八連隊、満州野砲第二十連隊 輜重兵第十四連隊が十四師団隷下に入った。
司令部は当初現在の作学院のあるところに設置されていたが11月5日国本の新庁舎に移転を完了
※日本軍は日露戦争後兵力を増強し続け、それまで16師団だったものを19師団にすることになる。それを受けて北関東三県知事および県民の師団誘致運動が展開、県では軍人保護議会が中心となり誘致運動、県議会が師団設置に関する意見書を決議、知事が陸軍省に提出 41年北関東駐屯が決定
第十四師団
第十四師団所在地第十四師団司令部 (宇都宮市 現国立栃木病院)
歩兵第二十七旅団司令部(現水戸市 茨城大学)
歩兵第二連隊(現水戸市 同上)
歩兵第二十八旅団司令部(宇都宮市 現国立病院)
衛成病院     (同上)
歩兵第十五連隊(現高崎市 音楽センター)
砲兵第十四大隊(現水戸市 茨城大学)
歩兵第五十九連隊 (現ポリテックセンター)
歩兵第六十六連隊 (現県立中央女子高校)
野砲兵第二十連隊 (現文星芸術大学付属高・中学校
騎兵第十八連隊  (現作新学院幼稚園)
輜重兵大十四大隊 (現作新学院高等部敷地)
憲兵司令部    (現栃木県公害研究所)
兵器廠・糧秣廠  (現栃木県中央公園・県立博物館)
歩兵第二十七旅団司令部(水戸・現茨城大学)
歩兵第二連隊・工兵第十四大隊(水戸・現茨城大学)
歩兵第十五連隊  (高崎・現音楽センター)

明治43年8月 韓国併合条約

大正2年

(1918)

■3/1 高田第十三師団歩兵第五十連隊(長野県)、第十三師団廃止に伴い宇都宮第十四師団に編入となる

大正3年6月 サラエボ事件第1次世界大戦始まる
8/23 日本ドイツに宣戦布告
10月 日本軍ドイツ領南洋諸島攻略
11/7 ドイツ領チンタオ(青島)攻略
大正7年11月 ドイツ降伏
8年6/28 ベルサイユ条約締結
第一次世界大戦終結
9年6/24 ローザンヌ条約締結
第一次世界大戦終息
大正12年9月 関東大震災

大正8年

(1919)

■4/8 第十四師団に戦時動員命令 第五十九連隊を中心として五百九十二名
■第十四師団宇都宮市常駐決定(鮫島師団長)近衛第一師団隷下の歩兵第十六連隊は11月宇都宮第十四師団隷下宇都宮駐留
■第五十九連隊第一大隊 (592名)シベリア派遣ハバロスク進駐

大正9

(1920)

尼港事件(ソビエト・ニコライエスクで市民6,000人決起)犠牲者375名(一般市民約400名犠牲となった、生存者112名)
宇都宮偕交社で尼港事件殉職者375名告別式 翌日遺骨帰還 日本軍ハバロスク撤退

大正13年

(1924)

■水戸市尼港事件殉難者記念碑建立
■軍縮により4師団の廃止決定 第十四師団の存続運動 宇都宮で9,630名の署名を集め嘆願書提出

大正14年

(1925)

■第十四師団存続決定、歩兵第66連隊は廃止となり4月26日に解散式が行われ国旗を返上した。(なお六十六連隊は昭和12年第百十四師団のもとで復活した)
■松本第十三師団廃止により歩兵第50連隊 が十四師団の隷下となった。
■5/1 第十四師団凱旋 戦死者550 戦病死110 戦傷者330計990名

大正14年4月 治安維持法

昭和2年

(1927)

■4月 第十四師団 旅順作戦@参加のため出征
■7/13 宇都宮第十四師団満州移駐決定 市商工会議所を中心に反対決起大会

昭和2年2月 金融大恐慌 3年 済南事件

昭和3年

(1928)

■満州派兵の第十四師団青島、済南、旅順島を転地  昭和4年帰還
■9月 第66連隊跡地が栃木県師範学校となる

昭和6年

(1931)

■6月 宇都宮第十四師団存続決定 4師団(高田第十三・豊橋第十五・岡山第十七・久留米第十八師団廃止決定)

昭和6年9/18 柳条湖満鉄爆破事件

昭和7年

(1932)

■2/23 第十四師団満州移駐決定 市商工会議所を中心に反対決起大会
宇都宮第十四師団歩兵1個連隊を残し、満州派遣決定
■3月 宇都宮第十四師団に応急動員令下命、3・2先遣隊呉港出発 第1次上海事参戦5月 北満州転進 関東軍隷下に水戸歩兵第2連隊第二大隊は熱河作戦へ

昭和7年3月 第1次上海事件
5月 満州事変  5・5事件
昭和8年1月 日本国際連盟脱会

昭和9年

(1934)

■2月 作戦終了 第十四師団凱旋 師団戦死者 480名 師団編成平時編成に戻る

 

昭和11年

(1936)

■2/26 226事件(26日~29日)水戸歩兵第2連隊 鎮圧のため東京へ出動

 

昭和12年

(1937)

■8/14 宇都宮第十四師団に動員令 師団合計25,382名、8・26宇都宮出発
第十四師団 大連派遣の大命 関東軍隷下となる
■10月 宇都宮留守部第十四師団各連隊に第百十四師団新設の動員令
10/12 歩兵第66連隊復活

10/22 宇都宮第百十四師団創設 編成時の所属歩兵連隊は第六十六(宇都宮)第百二(水戸)第百十五(高崎)第百五十(松本)

11/11 宇都宮第百十四師団動員令

12/13 宇都宮第百十四師団杭州上陸

■南京陥落 第宇都宮第百十四師団第百五十連隊が最初に軍旗を翻した

昭和12年7/7 盧溝橋事件、7/10 八宝山事件、日中戦突入
8/15 南京爆撃
8/21 南京でソ支不可侵条約締結
8月 国民精神総動員運動告諭
9/12・12/7・12/28 宇都宮市街 戦勝祝賀ちょうちん行列 
12月 南京事件 

昭和13年

(1938)

■4/ 1宇都宮師団管区 第二十二師団編成(通称「原」)(編成地は宇都宮補充担当は仙台師管区)

昭和13年4月 国家総動員法公布

昭和14年

(1939)

3/25 宇都宮師団管区 第三十三師団編成(通称「弓」)

8/28 宇都宮第百十四師団 宇都宮帰還 歩兵第66連隊廃止

■宇都宮第十四師団宇都宮帰還(戦闘回数1316 戦死3100戦傷7200余)
平時編成となる

昭和14年5月 ノモンハン事件 9月 第2次世界大戦 日独伊三国同盟結成

昭和15年

(1940)

■7/10 宇都宮第五十一師団が第十四師団留守部隊を基幹として編成された

初代師団長上野勘一郎 二代目師団長 李王垠中将(14年7月~11月)
■8/14 宇都宮第十四師団満州移駐
■9/11 宇都宮師団管区 第六十六師団編成(通称「基」)
■10月 宇都宮陸軍飛行学校設立

昭和15年4月 栃木県 護国神社宇都宮市相生町招魂社(現・馬場通り2丁目パルコ)から一の沢町に移転 

昭和16年

(1941)

■7月 第五十一師団の隷下として歩兵第六十六連隊三度復活
第五十一師団 出征 満州派遣 華南に進出し第二十三軍に編入され17年11月ニューギニア戦線に転用され第十八軍に編入、ラバウルに進出した。悲惨な経過をたどり16000人の隊員のうち終戦時には2,754名となっていた。
歩兵第50連隊は新設の第二十九師団に所属変更となった。(昭和19年7月24日テニアン島で玉砕)

昭和16年4月 日ソ中立条約 10月 東条内閣成立 

●12月8日 太平洋戦争

昭和17年

(1942)

■9月 宇都宮陸軍飛行学校那須野分教所開校(黒磯市)(那須野陸軍飛行場・黒磯飛行場)

 

昭和18年

(1943)

■2月 宇都宮陸軍飛行学校那須野分教所 那須教育隊となる
■5月14日 宇都宮陸軍飛行学校壬教育隊開所、壬生飛行場開設(壬生町の空襲)参照 
■6月 仙台第十師団 名古屋百三十八師団主力のガダルカナル部隊撤退

■宇都宮師団管区 第六十三師団編成(通称「陣」)

昭和18年9月 イタリア降伏、10月 学徒出陣

昭和19年

(1944)

■3/1 宇都宮第十四師団動員下命満州チチハルから南方戦線パラオ諸島出動、パラオ本島のダベルダオブ島を拠点とした。第十四師団五十九連隊第一・第二・第三大隊をパラオ諸島(西カロリン諸島)のアンがウル島派遣、第三大隊のみ残留した。

7/15 第十四師団水戸連隊第二大隊、高崎連隊第三大隊ペリリュー島派遣 陸軍5332名海軍3646名

9/12 アメリカ軍大艦隊(約300席)ペリリュー島襲来

9/15 アメリカ軍ペリリュー島上陸

11/24 午後4時「サクラ サクラ」の電文を発し守備隊帳中川大佐割腹自決、玉砕した。洞窟にこもった兵士80名は終戦後も戦い続け、生き残った34名がアメリカ軍に保護されたのは昭和22年4月21日のことである。

9/17 アメリカ軍アンガウル島上陸

10/19 アンガウル島玉砕[第59連隊第一大隊(後藤丑雄少佐)

■10/15 宇都宮第百十四師団は華北防衛師団として独立歩兵第三旅団を基幹として編成復活した(通称『将』)

◆ 宇都宮教導飛行師団編成(那須野陸軍飛行場の項を参照)


 

当時の宇都宮師団の名称と改称については当ページ下部「参考1:当時の宇都宮師団の名称と改称」を参照

6/17 マリアナ・パラオ海戦で敗北。艦載機400機を失い事実上制空権を失う

6/27 サイパン守備軍万歳突撃敢行

7/7 サイパン全滅

日本軍戦死者  8,100  生存平 313 アメリカ軍戦死650 民間人14,949名は保護収容された

8/4 テニアン島の戦い終結

主力は第50連隊、日本軍死者8,010捕虜313アメリカ軍戦死者328 日本軍は降伏、民間人は13,000人が無事生存した

昭和19年8/11 グアム島全滅

日本軍死者18,000、負傷者485、アメリカ軍死者3,000負傷7,122。グアム全滅によりグアム島飛行場からの日本本土空襲が激化する


 

■7/10 第百十五師団は華北、山東省臨汾運城にて再編された。ソ連参戦で平津地区に移動、途中で終戦を迎える。
4/4 宇都宮師団管区にて第八十一師団編成(通称「納」)、留守第五十一師団の基幹として編成され第三十六軍戦闘序列に編入された。機動打破師団として本土決戦に備え,結城で終戦を迎えた。

 

その他の宇都宮師団編成については当ページ下部「参考2:その他の宇都宮師団編成」を参照。

 

 

 

昭和20年

(1945)

■3/20 宇都宮師団管区にて第百二十七師団編成(通称「英邁」)

満州五家子所在の第九団守備隊の基幹として編成され第三軍に編入 満州東部の警部にあたり実戦に接することなく終戦を迎えた

昭和20年3月10日 東京大空襲 
2月 ヤルタ会談
5/7 ドイツは連合国に対し、また5/8にソ連に対し無条件降伏をした

7/12 宇都宮大空襲
8/ 6 広島市原爆投下、
8/ 8 ソ連対日宣戦、
8/ 9 長崎市原爆投下

8/13日の那須野陸軍飛行場からの特攻出撃がわが国の特攻出撃の最後の出撃となった

8/14 ポツダム宣言受諾  

■1/20 宇都宮師団管区にて第百五十一師団編成(通称「護字」)

帝国陸海軍作戦計画大綱の策定の結果本土決戦に備え急増された54師団の1つ

■4/2 宇都宮師団管区にて第二百十四師団編成(通称「常盤」)

第三十六戦闘序列に編入 アメリカ軍の寒等上陸に備えた機動打撃師団、宇都宮で終戦を迎えた

■5月 那須飛行隊 第二十六飛行隊司令部設置
■6/10 宇都宮師団管区にて第三百十五師団編成(通称「赤城」)

第三十六戦闘序列に編入 アメリカ軍の寒等上陸に備えた機動打撃師団第三十六戦闘序列に編入 アメリカ軍の本土上陸に備え、兵力、火力共に充足できないまま本土決戦に備え福岡県福間で終戦を迎えた。

7月 那須飛行隊、特攻隊12隊編成
■8/13 特攻機「神鷲」6機那須野陸軍飛行場より出撃うち2機突入
■8/15 天皇「終戦の詔勅」放送
■宇都宮第十四師団第五十九連隊主力部隊バベルダオブ島で終戦を迎える
■9/2 日本国ミズリー号上で降伏文書調印   終戦

参考1:当時の宇都宮師団の名称と改称

改称
8月名称改称
9月防諜による改称
宇都宮第百十四師団
・・・・・・・・・・・・・
→ 満州第八百五十部隊
宇都宮歩兵第五十九連隊
→東部第三十六部隊
→満州第二百十九萩原部隊
宇都宮野砲第二十連隊
→東部第四十部隊
→満州第八百十八南部隊
宇都宮歩兵第五十九連隊
→東部第三十六部隊
→満州第二百十九萩原部隊
宇都宮捜査第十四連隊
→東部第三十九部隊
汾・・・・・・・
宇都宮歩兵第五十九連隊
→東部第三十六部隊
→満州第二百十九萩原部隊
宇都宮輜重兵第十四連隊
→東部第四十四部隊
→満州第三十六今村部隊
宇都宮師団通信隊
→東部第四十三部隊
・・・・・・・・・・
水戸 歩兵第二連隊
→東部第四十二部隊
→満州第百四十三部隊
水戸 工兵第十四連隊
→東部第四十二部隊
→満州第六百三十五野口部隊
水戸 工兵第二連隊
・・・・・・・・・・・・・
→満州第百四十三鬼武部隊

参考2:その他の宇都宮師団編成

編成時期
師団名
編成地
補充担当
終戦時所在地
18年5/1 第六十三師団
華北
宇都宮
奉天
20年1/16 第百二十七師団
満州東部
宇都宮
満州東部

※文中の地名ならびに軍隊用語については、太平洋戦争当時の用語を使用しています。

※資料作成:2005年1月1日、改訂2015年1月1日  作成 大野幹夫 

(ご意見等はoh_mikky@kba.biglobe.ne.jp大野まで)

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