小山市の空襲

≪小山町・大谷村絹桑町(絹村・桑村)美田村(豊田村・穂積村・中村)間々田町(生井村・寒川村)≫

≪ ≫内の黒文字は、域内の昭和20年当時の市町村、緑字は昭和20年以降現在までに( )内の市町村が合併して成立した


昭和20年8月4日

 小山市史略年表(p.1075)に昭和20年8月4日のできごととして、「小山駅付近、空襲による機銃掃討をうけ3人死亡4~5人負傷」とあります。また別の複数の目撃証言には、小山駅水戸線ホームにて3名死亡とあります。この2件の事項は同一のものと思われます。実際は昭和20年7月28日、国鉄宇都宮駅、鶴田駅、小金井駅がP51艦載機による襲撃を受け大きな人的被害を出した際小山駅も急襲され、犠牲者を出したものと考えられています(宇都宮市の空襲下野市の空襲参照)。なお昭和20年2月25日に小山城北地区にてアメリカ軍戦闘機の襲撃で1名の犠牲者を出したとの目撃証言があります。


 日本本土の主要都市の殆どがB29の空襲により焦土と化し、軍事施設、軍需工場の殆どが破壊された戦争末期の昭和20年7月中旬から8月の終戦日にかけてアメリカ軍の戦闘機の攻撃の方向は、交通機関の攻撃にむけられ多くの駅舎や港湾施設が攻撃の対象となりました。栃木県の鉄道駅も国鉄東北本線西那須野駅、氏家駅、宝積寺駅、宇都宮駅、をはじめ、日光線鶴田駅も攻撃の対象になり多くの市民の犠牲者を出しました。特に7月28日には8機の艦載機が宇都宮駅を襲い、さらに小金井駅、小山駅を急襲しました。栃木県内では当日1日で70名以上の犠牲者を出すという惨事となりました。